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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

三年ぶりにメールを出す

三年前ぐらいまで、原稿を読んでいただいていた方に、見本の原稿を付け、できれば持ち込みをしたいとメールを送った。
しかしもう、自分のことなど憶えてはいないかもしれない。憶えてはいたとしても、今更原稿を読んでくれませんかなんてメールをすること自体が、してはいけないことなのかもしれない。
会社の一次面接で落ちたやつが、やっぱり入りたいからまた来ました、となぜか二次面接の会場に座っているような。そんなことをしているのかもしれない。
どうやってこいつを追い出したらいいのだろう。多くの人間が察する方法では、このバカにはわからない。自分はそう思われているのかもしれない。何だか気の毒な人。本人は気づいていないかもしれないが、ひとりぼっちな人。皆、一歩引いて接している。
もう一度書きたいから読んでくれというのは、自分勝手過ぎる願望だ。
何で書いたから読まないといけないのだろう。
これから書こうとしているものは、メールを送った方が、こんな自分を認めてくれて、書いてくれ、と以前言ってくれたものだけど、失望させてしまい、もう終わっているのだから、別に連絡する必要などはなかったのかもしれない。
ひとことことわっていた方がいい気もしたけど、向こうにとっては迷惑な話で、申し訳ない気がした。
メールへの返信もないのが当然だから、それで次に進まないといけない、と思った。
しばらく待っていたが、メールは何も送られてこない。
できればその人のもとで、というのはこっちの勝手過ぎる願望だ。
よし、次に進まないと、と思っていると、返信のメールが返って来た。
しかし、忙しくて原稿は読めそうにはないと書かれていた。
最近作家のツイッターで知ったのだけど、忙しくて読めない、というのは、ことわりの意味である、ということらしかった。本当に言葉通りの場合もまれにあるが、たとえばまた催促して、まだ読めてないです、と言われたら、もうそれはそういうことなのだと、察しないといけないということのようだった。
自分の場合は、もう一度連絡するまでもなく、完全にことわりの意味だ。
もう迷惑だから、二度と連絡してもいけない。
そうだよな、と思って次の日仕事に行った。
帰り道、携帯にメールの着信があった。物書きの仕事に使っていた(といっても昨日メールを送るまでは三年使っていない)アドレスにメールが届くと、メールが携帯に転送されるように設定してあったのだった。
昨日メールを送った方からで、お会いしたいです、とメールには書かれていた。

 

2015.09.25 Friday