薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

チャンスを逃し続ける人生

テレビ番組から出演の依頼があった。

出版社経由で話が来たので詳しくはわからないが、団塊ジュニア就職氷河期世代?の不遇な人の一人として、番組に出て欲しいとのことだった。

出演依頼をしてくれた方は、以前、2009年に出たわたしの本を発売時に読んでくれていて、それ以来ブログもずっと読みつづけてくれていたという。

いつか何らかのかたちで番組に出てほしいと思って、あなたを追っていたのだが、今回の企画には最適だと思うので出演を依頼したとのことだった。

次の本を待っていたのに、いつまでも本が出ず、ここ最近はブログさえ更新されていない(その話があった当時)。だからもしよければひとつのきっかけとして、番組に出てはみないだろうか。
それでまた物書きとしてやっていく援護になるのなら、こちらとしても嬉しいと言ってくれているようだった。

あくまで出版社づてに聞いた話だから、どこまで本気で言ってくれているのか、どれくらいがお世辞で、どれくらいは本心なのかはわからないが、わたしなどに話を持ってきてくれた、ということはとても嬉しかった。

ブラックな職場で非正規雇用で働き、うつ病になって失業して、それでも何とか頑張ってそのことを本にして、それがとてもいい本で面白いのに、でも残念なことにそれが売れなくて。
頑張っているのに報われない、失われた二十年世代を象徴する人として、人生思うようにいっていない人の代表として出演してくれたら、と依頼者側は言ってくれてるとのことだった。
また、その番組は視聴率が10パーセントを超えているので、1000万人以上が視聴している。もしその番組に出てくれるのなら、こちらとしても前向きに検討したいことがあるので、ひとつ考えてみてくれないだろうか、といわれたのだった。

しかし、なにをやってもダメな人間、どう頑張っても上手くいかない男、ミスター不運、報われない人間の代表、という感じで、テレビに出るというのは、どうなんだろうか。そんな感じでテレビに出たら、もう一生そういう人として呪いがかかって、これからの人生も上手くいかないのではないか。

しかし番組は、わたしの世代の人間からすれば、子どものころからずっと観つづけてきた方の名前が冠された番組で、もし話がまとまるなら、わたしはその人の番組に出演できるのだ。突然すぎて、自分ではよく実感ができないが、親とかは喜んでくれるのかな、と思ったのだった。

ただ、同じスタジオの、数メートル手前に、子どものころからテレビで観たり、ラジオで聞いていたその人が実際にいて、その回のゲスト(ではないだろう、何をやっても報われない人として出るのだから)として自分が出ている、というのはどういう気持ちになるのだろう。もし話を振られたりしたら緊張しすぎて何を口走るかもわからず、なんだあいつテレビに出していいのか、というぐらい当然ワキ汗をかいて、ワキ汗が何それ服の柄?というぐらいになり、全然おもしろいことも、ためになることもいえず、放送事故みたいになってしまうところが思い浮かぶ。それで番組が面白くなればいいが、もし不興を買ったり、全カットされたりと思うと、どんなに落ち込んでしまうか自分でも想像ができない。ちゃんと経験を積んでから、舞台に立ちたい、それでもわたしがそういう星の下に生まれているのなら、もうそう生きていくしかないのか、と思っていたが、結論から言えばその後連絡はないので、話は流れてしまったのだった。

やはり話が流れてしまったのは、番組への顔出し出演と、今どうしてるかの密着取材が条件かもしれないみたいで、そこはいちどお話を聞いてから考えさせてくれという感じに伝えたつもりだが、間に出版社が入っていたので、上手くニュアンスが伝わらず、顔出しや密着取材は絶対にできない、みたいに先方には伝わってしまったのか、あるいはもう無職に近い自称物書きから、元物書きの契約社員になったので、テレビ的には取り上げてもおもしろい存在ではない、と判断されたのかもしれなかった。

実際いまの職場の規定ではテレビに出るのはNGで、密着取材などもってのほかなのだが、もしいい話だったら職場を辞めてでも、いや、もう何の保障もなくそんなことはできない、本が復刊したり、新しい本が出たとしても、それで物書きとしてやっていけるなどとはとても言えない、と悩んでいたのだが、話自体が無くなったので意味のない悩みになってしまった。

ただ、話がもう二、三年早く来ていれば、と思う。チャンスを逃しつづける人間とはそういうものなのだろうか。当然テレビの話が流れたので、復刊も、新刊も、ないようだった。もしかしたらテレビ番組から話があったと言いながら、実は編集者が動いてくれたのかもしれないが、テレビに出たら売れるかもしれないと思っているのに、自前で宣伝はしてくれない、というのは、ビジネスの世界であることと、自分がどの程度の存在かを考えれば当然だが、何とも持っていきようのない気持ちになるのは確かだった。

いまの職場では、わたしのフリーター薫としての何かが、まったく発揮できずに生きていく、というのは、こういう話があった後ではよりコントロールが難しい気持ちになる。

番組に出たとしても、実際にはわたしを紹介する短いVTRがあって、コメンテーターの人たちがそれに何かコメントして終わり、という感じだと思うが、コメンテーターの人たちもわたしとは違って、チャンスをものにして成功をおさめた方たちだから、その方たちが、わたしのこれまでの人生をどう評するのか、わたしをどう評するのか、なによりあの方にどう言われるのか、聞けたかもしれないのにその機会を逃してしまった。

自分は何も変わらないのに、チャンスを掴むか逃すかで全然違う、というのは、当然だと頭ではわかっていても、感情のレベルでコントロールが難しい。せめて自分の書いた物語をあの方が映画化したり、その物語にあの方が役者として出ている、という、ありもしないことを妄想して、自分を慰めるしかなかった。夢に見ないかな、と思った。

 

2015.05.12 Tuesday