薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

東京強歩(1) 東京はどこにある

とにかく東京を歩いてみようと思った。

東京に出てきて一年以上経ち、毎日東京に居るはずだが、わたしは東京に住んでいるのだ、という実感がない。

果たしてここは東京なのだろうか、と思うことがよくある。

普段生活しているところは、東京の東の方の下町と呼ばれるところで、以前住んでいた広島という町の景色と、別段変ったところもない。

いつも利用している近所のコンビニは、以前と同じセブンイレブンで、売っている商品は同じだし、近くのスーパーには広島特産の調味料、オタフクソースや牡蠣醤油まで置いてある。

あえて違うところを見つけようとするなら、お好み焼屋の代わりに、そば屋やせんべい屋が多いことぐらいだろうか。そう言えば路面電車は走っていないが、しかし東京にも走っているところはあるそうだし、上手く言えないが何だかそういうことではないのだ。

いわゆる東京と言われている町と、自分が住んでいる東京は、よく似ているがまったく別の場所なのではないか、というような感じに、おちいる感覚、というのだろうか。

たとえば昔読んだ本の中に、こんな話があった。

あるところに、精巧な地図を作るのに凝った国があり、その国は、どんどんと精巧な地図を作って行ったのだが、やがてそれが高じて、自分の国と全く同じサイズの寸分違わぬ地図を、自分の国の横に作ってしまった。そしていまでは、横にある地図の中にも人が住んでしまっているという。

何だかそんな話の中に入り込んでしまったような感覚、というのだろうか。自分がいま住んでいる場所が、元の東京なのか隣の東京なのかはわからないのだが。

朝早く、テレビではニュースをやっていて、跳び付きたくなるほどキレイな女性が、いかにも東京みたいな景色をバックに天気やニュースを伝えている。女性の背景に映っている景色が、東京のとある場所のものだと頭ではわかっているのだが、いま自分がいるボロアパートの前を通っている道を、ひたひたと歩いて行けば、やがてそこに通じるということが、どうも実感できない。どちらの方角に、どれくらい歩いて行けばいいのだろう。

パソコンを立ち上げ、グーグルアースで自分の家の住所を検索してみる。地球からどんどんとクローズアップされてゆき、東京のとある場所の上空に来て、君がいるのはここ、と親切に指さしてくれるのだが、どうも実感がわかない。

わたしの家は東京にあるのだから、歩いて行けば、いわゆる新宿とか渋谷とか銀座とかにも、地続きで通じるはずだが、本当にそうだろうか、という気がちょっとするのはなぜだろう。

電車や地下鉄でしか行ったことがないので、どちらの方角にどれだけ移動したか、という実感が薄く、いつも、いつのまにか運ばれて行ったような感じがするからだろうか。実は新宿は埼玉のとある場所にあったとしても、地下鉄だったら全く気づかないのではないか。

ここは本当に東京なのか、わたしは本当に東京にいるのだろうか。

自分でもちょっとあぶないと思うのだが、そんなふうに感じる自分が、確かにいる。なんだか気持ちが悪い。こんな感覚におちいると、どこか自分が自分ではないかのような、体の座りが悪いような感じがする。理由は分からないが、何だか宙ぶらりんな感じがしてしまう。

だから、実際に歩いてみることにした。ふっと、じゃあ実際に歩いてみればいいじゃないか、という気がしたのだ。

実際に東京を歩いてみることにすればいい。自分の足で歩き、自分の目で見て、鼻で、耳で、つまり体で、東京を実感すればいいのだ。わたしは東京に住んでいるはずなので、地図の通り行けば東京のどの場所にも辿り着くはずだ。ただ確認しに行くだけのようだが、実際にそこまで全部歩いて行くと、ただの確認とは全く違うことになるような気がする。

そういえば昔、東京は江戸だったので、みんな歩いていたのだ。別に東京中を実際に歩いてまわろうとするわたしがおかしいわけではないと思う。

 

2008.06.07 Saturday

 

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