読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

うんこ屋敷の住人

本で読んだのだが、人は一生のうちで、平均8.8トンのうんこをするらしい。

石原さとみも、上戸彩も、剛力彩芽も(名前からして、剛力さんは9トンぐらいしそうだが)8.8トンのうんこをするのである。CM撮影や、ドラマの撮影や、上戸さんは授乳の合間にもしているのだが、下水道が完備されている現代社会では、そんなことはないかのようになっている。

石原さんや上戸さんや剛力さんの彼氏や夫は、目の前にいる彼女が、日常的にうんこをして、添い遂げるとやがて自分の側で8.8トンのうんこをする生身の人間の女であるという実感を持って共に生活しているわけだが、街角の広告や雑誌の表紙や、テレビをつけると流れてくるCMの彼女を見ると、いったいどんな感じ、リアリティがあるのだろう。

本体とコピーというか、パーマンで言うところの、コピーロボットが何体もかわいさや色気を振りまいて出ているわけだが、同じ屋根の下で本体はうんこをしているという、そのリアリティはどういう感じなんだろうと。

それともひとりの女と同棲したり結婚したりして生活しているのと、大差ないリアリティなのだろうか。

 

CM撮影や、ドラマの撮影や、授乳ほど立派なことはしていなくとも、普通の人もうんこをするよりは、日々価値があるとされていることを行っているので、うんこをしていることなんて、それらに比べて価値のないことだとなっていて、自然うんこなどしていないかのように、それは無駄な時間であるかのように、日々うんこをしているというのを実感しない方向で生きているが、本当は生きているうちに8.8トンのうんこを生みだして生きているのであって、そのことを実感しながら生きていく方が、何か日々積みあがっていく実感、喜びがあるのではないだろうか。

一人一人、したうんこを貯蔵して、可視化できるようにすれば、自分の人生は無意味だなどと悩まなくなるのではないだろうか。人はパンのみにて生くるものに非ず、とあるが、とりあえず君はこの世に生まれてこれだけのうんこを残したのだと。君は生きて、こんなにもうんこをした。諦めるなと。

そして自分の敷地にうんこを溜め込み、そのうんこを材料にして家を建て、ごみ屋敷ならぬうんこ屋敷の住人として、近隣住民と揉め、うんこの屋敷に火をかけられ、燃え盛るうんこの屋敷とともに何十年かの生涯をすべて灰として消し去って閉じるというのが、いちばんシンプルな生き方で、それこそ本当のミニマリスト

無印良品の手先のような部屋に住むのではなく、自らが生み出したうんこの部屋に暮らすのが、真の持たない暮らし、ぼくたちにもうモノは必要ない、持たない幸福論ではないかと、8.8トンのうんこ以外は幻想であると。

想像してみて欲しい、あなたがしていることなんて、あなたが毎日うんこをしていることより、価値があることなのだろうかと。ただいろいろなものに、そう思わされているだけなのではないかと。

本来ヒトなんて、食って糞して寝るだけのシンプルな生き物であるはずなのに、もうどんどん複雑になって、だた社会というもに参加するためだけに、責任とか義務とか役割とかを負わされ、生きがいというものを探さねばならず、しかし真面目に探そうとすれば、自分探しなどと冷笑され、もう苦しくてそこから逃れたい、降りたい、距離を取りたいというのが、いつ終わるともしれないわたしたちの時代閉塞の現状であると。

もううんこ屋敷の住人として、うんこを材料にして家を建て、ごみ屋敷ならぬうんこ屋敷の住人として、近隣住民と揉め、うんこの屋敷に火をかけられ、燃え盛るうんこの屋敷とともに何十年かの生涯をすべて灰として消し去って閉じるというのが、いちばんシンプルな生き方で、それこそ本当のミニマリスト

しかし、人はうんこ屋敷の住人として生きるには弱すぎ、8.8トンのうんこなどないかのように、さとみよ、彩よ、彩芽よ、あたしにくちづけしてみたい、おっぱいがさわりたいのね、と生きたがり、それなのにそう生きねばならぬ(そう生きさせられている)辛さ嫌さ苦しさがわかるのか、とからみ、自分の子に授乳したがり(それを嫌がり)、うんこの屋敷に住むだけでは飽き足らず、ベーシックインカム生活保護で、あとはただパチンコをして暮らせば満足、という性質の者に、全員がなれるのだろうか。

せめてパチンコやネットがあれば、それで幸せだろうか。

もううんこ屋敷の住人として、うんこを材料にして家を建て、ごみ屋敷ならぬうんこ屋敷の住人として、近隣住民と揉め、うんこの屋敷に火をかけられ、燃え盛るうんこの屋敷とともに何十年かの生涯をすべて灰として消し去って閉じるのか。

つまり猫でも飼えばいいのだろうか。

 

2012.08.31 Friday

 

 

広告を非表示にする