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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

東京日記(52)

東京日記 下流の話

四十近くにもなって、四十近い男性は働いていないような職場で働きだした男は、一体どういうやつなんだろうと気になるのかもしれませんが、あんまり訊いて欲しくはないのです。

でもなんか、他人に訊ねられて、それまでの何年間かを自分の口で説明するというのは、自分の耳で聞いていて、へんな感じがするものだな、と思う。

自分の耳が自分の口に驚くというか、お前自分のことそう言っちゃうんだ、みたいな。お前自分自身のことそういうやつだと思ってるんだ、みたいな。

案外、自分のこと残酷に言っちゃうのね、みたいな。

これっていったいなんなのだろう。

ただ、色々根掘り葉掘り訊かれても困るので、ひきこもりに近いような、まったく売れない能力もない、ほんと自称ライターだったんですよ(その通りだが)、ともう自分からある種言っちゃうことで(採用面接のときに職歴に穴を開けるわけにもいかず、前の職場を辞めてここに来るまでの間は文筆業だったと言ったから、採用側はそれを知っているので、現場にその職歴の話はいっている可能性もあり)、それ以上何を書いてたとか、本は出してたのか、出してるんなら読ませてくれ、みたいなことは言われないように、自分から言っていかざるをえないというのは、何なんだろうな、と思う。

自分の過去を(他人は本気では興味など持っていないが)他人にはほとんど隠しながら、日々生活をおくっていかなければならないというのは、何なのだろう。

別にわたしは反社会的なテロ活動をしていたわけでもないし、犯罪とか犯したわけでもないのに、やはりこれから働いていくには、自分の過去や経験やそれを記した本を職場の人には知られないほうがいいという。

大なり小なり人というのは、他人には語らないことがあり、それを自分の中に溜めて生きてくものだろうが、たとえば職につくとき多くの人は、自分はこんな経験があるとか、こんな体験をしたとか、それによってこんな気づきや学びがあったとか、それゆえわたしはこんな能力があって、これまでこんな実績をあげて来たのです見てください、評価してください、それに見合った仕事を与えてください、だからわたしを認めてくださいと、言葉にはならない(もちろん実際に言葉の場合もあるだろうが)、態度をとり、重ねた自分自身で勝負し、そこからさらに積み重ねて生きていくのだとしたら、わたしの毎日はなんなのだろう。

そんなことを思いながら帰る仕事の帰り道、景色は何かいつもよりもきれいに見え、同じ景色でさえ、ただの人の感情や立場によってさえだけで見え方が違うというのは、いったいどういうことなのだろう。

 

2012.08.21 Tuesday

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