薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

童貞、東京に現る(8)

 向かいに座っている、二十歳かそこらの女の子に、僕とセックスしてくれませんか、と突然手をさし出してみたいような気がした。その横に座っている中年の女性に、おばさん、お願いだから僕とセックスしてくれませんか、と言いたい気がした。もちろんどちらにも断られる。
 ねえ看護師さん、と言っても断られ、妊婦さん、と言っても断られる。後藤芳子(ごとうよしこ)、という名前を知っていれば、後藤芳子さん僕とセックスをしてくれませんか、と声に出してその名前を呼びかけたかった。


 人目につかない場所に行くと、着ている服を脱ぎ、はだいろの虫みたいな姿になって、みんなセックスをしているのだと思った。


 隣を横目で見ると、妊娠しているひとの、その腹が見える。腹が膨れていた。お腹の中にいるのだから自分の子どもであることは間違いないのだ。子どもを孕むとはどういうことなのだろう。僕には一生わからない。別の生き物を宿して、それが中から出てくるだなんて、何だかわけがわからない。どこか気持ちが悪い気さえする、と思っていると、僕は名前を呼ばれていることに気づいた。


 繰り返し呼ばれていることに気づいて、あわててカウンターの方を見ると、ふたりの看護師が僕の方を見ている。何だろう、という感じで、周りに座っている女性たちも、僕の方に注意を向けている。
「あ、はい、すいません」と言うと、「どうぞ」とひとりの看護師が言う。えっ、と思い、他の待っている女性たちを見たが、「どうぞ」とまた看護師は言った。僕は言うとおりにするしかなかった。

 診察室のドアを開け中に入ると、おっさんがひとり立っていた。白衣を着たおっさんだった。ああ産婦人科泌尿器科の先生なのだ、と僕はすぐ思ったが、おっさんは痩せ気味で、銀縁のメガネをしていた。
「できものが出来たんですって」といきなり気軽な感じでたずねられた。
 僕もそのお蔭で、「イボみたいなものがあるんです、尖圭コンジローマかもしれないと思って」、と自然な感じで言うことができた。
 しかし、いきなり相手が立ったまま訊いてきたので、こちらとしてはこの後どうしていいのかがわからない。
 医者のものだと思われる、机と椅子が置いてあり、その向かいに患者が座るらしき椅子も置いてある。僕はその椅子に座った方がいいのだろうか。部屋には人が横になれるぐらいの長さの台がひとつあった。産婦人科というと、股を開かされて脚を固定する、拷問器具のような検査台が、と僕は思っていたが、そういうものは見当たらない。


 お互いこのまま立ったままでいるのもへんなので、何か言って欲しいと思ったら、じゃ脱いで横になって、とひとつある台を指して言われた。
 僕はあわててズボンを脱ぎ始めた。自分でズボンのベルトを外している、カチャカチャという音が、妙に大きな音に聞こえる。何かへんな感じがする。誰かに性器を見せるために、ズボンとパンツを脱いでいくのは初めてだ。脱いだズボンとパンツを、その中に、と言われた風呂の脱衣所にあるみたいなピンクのカゴに入れた。上も脱ごうとしたら下だけで、と言われた。僕は台の上に乗った。仰向けに寝そべるのだろうか、脚は曲げた方がいいのだろうか。裏返されたカエルみたいな格好で待っていると、おもむろに覗き込んできたので、僕は思わず声が出そうになった。


 何だか近い。こんな感覚ははじめてだった。
 自分の開かれた股の間にある男の頭頂部を、僕は頭を持ち上げてじっと見つめていた。
 つむじが見える。なぜかわからないが、この人昼は何を食べたのだろう、と僕は思ってしまった。女性からはこんなふうに見えるのだ、ということを僕は知った。
 医者は何か言うかと思ったが、僕の股の間を無言のままずっと見つづけている。
 天井や、部屋に置いてある物が、何か見たことのない別の物であるかのように見えた。そしてまた、僕は股の間にある医者の頭を見た。この体勢にさせられ、覗き込まれてから、もう三分ぐらいは経っているような気がした。
 そして、この体勢は正常位だと僕は思った。この体勢をする女性は、初体験のときとかどう思うのだろう、と僕は思った。その内慣れて、普段しないこの体勢をする喜びがあるのだろうか。


 こちらから、何か話し掛けたほうがいいのだろうか、と思って、どうですか、とか声をかけるべきか僕が迷っていると、医者は顔をあげた。顔が僕の顔を見つめて、いったいどこにあるんです、といまさら言う。
 僕はむくりと起き上がって、これです、と自分ものを寄せて見せた。
「ああ、わかりました、元に戻って」と何だか強い口調で言われた。銀縁眼鏡を掛けている真面目そうな顔が、僕には何か神経質そうに見えた。
 医者はまた、僕がこれだと指摘した場所をじっと診たあと、さらに確認するように股の間をじっくりと見回して、大丈夫ですよ、何の問題もないです、と言った。
「えっ」と僕が言うと、「歳のわりには凄くきれいですよ」と僕は言われ、最後に尻の穴まで見られた。

 

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