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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

童貞、東京に現る

 なんで僕は病院に行き、検査などを受けなければならないのか。
 自分のせいでそんな目にあうのなら、それはもう自業自得というもので、もうどうしようもないことだが、病院に行かなければならぬ理由を作ったのは僕ではない。
  しかも僕が行かなければならなくなったのは泌尿器科だ。僕は普段、泌尿器を他人に見せ歩くような生活をおくってはいない。だからそんなところにいって診察を受けるのは恥ずかしい。僕の町に住む誰もが、泌尿器を見せ歩くような生活を送っていれば、僕も恥ずかしくはないのかもしれないが、僕の住む世の中はそうではない。
 それに僕は、いい年してまだ童貞だ。誰かにそれを見せたことがない。そうなると、もうそれは泌尿器としてではないのだが、僕は泌尿器としてではない使い方を共同作業したことがなく、共同作業の回数を誇るような世の中で、僕は肩身が狭いし、泌尿器科は、恥ずかしいふりをしながらどこか誇らしげな顔を隠しているものが、行くところではないだろうか。僕にとっては、いちばん行きたくない所だ。誰にかはわからないが、なんだかいじめられているような気分になる。


 やっぱり僕がいい年して、ネットカフェでアルバイトをしているのがいけないのだろうか。
 それというのも、僕が働いているネットカフェで、オナニーをするものがいるからなのだ。いつのまにか店の中でオナニーをしている。ネットカフェは、もちろんそのような場所ではなく、ましてや、町のオナニースポットでもないはずだが(そんなものがあるなんて聞いたこともない)、多くのものが、店内で隙あらばオナニーしようとしている。人目につかない場所さえあれば、町のいたるところで、オナニーをしているのか、次々とやってきて、それをやめさせることができないのだった。


 掃除をすると、使用済みのティッシュが、なぜか当たり前のようにごみ箱の中にある。防犯カメラの映像を見て確認すると、人が自分の性器をいじっている。

 

  周りにいるものは誰もそのことには気づいていない。性器をいじっている横でネットをし、性器をいじっている横でマンガを読み、性器をいじっている横でポテトチップスを食べている。店員も近くを通り過ぎるが、そこで人が性器をいじっていることには気づいていない。店の座席はひとつひとつ板壁で仕切られているので、扉に上着かひざ掛けでも掛けてしまえば、中は見えにくくなるからだろうか。

 まるで人が、ただ決められたようにだけ動いている、ロールプレイングとかドラクエとかの、マップ上にいるキャラクターのように見える。

  もともと人間には、本人には気づかないところで、もう運命のように、ある役が割り振られているのではないだろうか、という気がしてくるのだった。

 防犯カメラの、天井から何の思い入れもなく淡々と記録された店の様子を見ていると、そこにいる一人一人の人間というものは、もうそういう人間であるようにプログラムされているような気がしてくるのだ。

 

 性器をいじっていた人間をひとり入店禁止にしても、またオナニーする役を割り振られている人間が、どこかからやってきて、店でオナニーをする。それをまた追い出しても、またどこかからやってきてオナニーをする。オナニーする。オナニーするな、と張り紙をするわけにもいかず、そうプログラムされている以上、この繰り返しに耐えなければならないのだろうか。僕はといえば、オナニー後の処理係として、もうそのようにプログラミングされているのだろうか。

 

  今日僕が、客が帰った後の席を掃除して回っていると、信じられないくらいに散らかった席にあたった。それをきれいにするのが僕の役目だが、限度というものがある。他にも清掃しなければならない席がいくつもある。これでは決められた時間では終わらない。しかし、いつもどおりの時間で終えなければ、業務に支障がでるので、僕がいつもよりとても頑張らなければ仕事が終らない。
 だが、僕はいつも頑張らされている気がする。人数が足りていないのではないか。雇う雇うといいながら、面接に来た者は採用しないし、今いる者も辞めていく。なのに、僕のバイト代はいっこうに上がらない。僕にいつも無理をさせてまで儲けた部分はどこにいったのだ。
  しかし、何とかして片付けなければ、使えない奴だと社員には叱責され、他のアルバイトからはダメ人間のレッテルを貼られてしまう。目標が達成できないのも、人手が足りず自分達が苦労しているのも、なぜかすべてあいつのせいだとなってしまう。僕はいい年して童貞なので、日頃から自分はダメ人間じゃないかというコンプレックスを持っているから、ダメ人間とはどうしても思われたくはなかった。だから僕はあわてて清掃に取りかかったのだった。
 ゴミ箱の中に手を突っ込み、素手のまま中にあるティッシュをつかんだ。そのとき、あるぬらっとした感触がして、とても嫌な予感がした。見ると、てのひらに白濁した半透明の汁のようなものがついていた。
  僕は慌ててふきんで手を拭い、アルコールスプレーを何度も噴きかけた。ティッシュをふきんでつまんで、恐る恐るニオイを嗅ぐと、僕もよく知っているあの臭いがする。僕は見知らぬ男の精液を素手でつかんでしまったのだ。目に見えている景色が歪んで来て、いま自分はここで何をしているのか、一瞬わからなくなりそうだった。
 手が沁みたので、我に返って見ると、どうしてか、先ほどティッシュをつかんだ手が切れている。僕のからだの内側に、見知らぬ男の精液が触れてしまっている。僕はこのままではエイズになると不安になって、たまらずトイレに駆け込み必死で手を洗ったが、もう手遅れなのかもしれなかった。


 バイトを終え外に出ると、街にはたくさんの人たちがいた。
 細身のジーンズにキャミソール一枚で、からだのラインを丸わかりにしている若い女が、僕の目の前を歩いていた。思わずじっと見つめてしまったが、視線に気づいた女がこちらを見て、威嚇するような視線を僕に送った。

 パンツが見えそうな短いスカートを穿いて、白い脚をむき出しにして歩いている女子高生の二人組みがいた。

 すぐ近くに立って、携帯電話をいじっている、仕事帰りの、タイトなスカートを穿いた胸の大きな女のシャツのボタンの間からは、ブラジャーのレースが見えていた。

 見上げると空が青くて、僕は気が遠くなるようだった。

 アパートの部屋に帰ってテレビをつけると、ニュースをやっていた。男のアナウンサーと若い女のアナウンサーが、他人の精液に触れてエイズになってしまうような僕とは関係のない世界のことを、深刻な顔をして喋っている。

  男の方はとても高そうなスーツを着て、女の方はアナウンサーなのに、それとなく身体のラインがわかる格好をして、手入れの行き届いた細く長い脚をだし、 素晴らしいおっぱいの持ち主であることがそれとなくわかるような服を着て、内心どこかほくそ笑んでいるような感じで、この世の良識を代表しているような顔をしているのを、僕はテレビで見た。

 

kaorubunko.hatenablog.com

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