読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

簡単には言えない

住んでいるアパートの一階に、体が不自由で上手く歩けないらしい、独居で生活している男の人がいて、一日中家にいて(わたしも一日中家にいるのでなんとなくわかる)、その人がベランダから野良猫にエサを与えたり構ったりするので、近所の野良猫がアパートの周囲に集まってくるようになってしまった。

飯時になると猫たちが、まさに猫なで声で鳴いている。はじめは二、三匹ぐらいの猫だったのだが、この二年でその数も増えた。子猫がたくさんいる。どうやら家族らしい。その猫たちがアパートの周囲に居ついてしまい、アパートの壁で爪を研いだり、周りで糞をしたりして、不潔になり、アパートや、近所の家の塀や庭に、勝手にずっと何匹もの猫が寝たりしている。

特にアパートの隣の家の人は迷惑しているようで、毎回音を立てたりして追い払うのだが、何度追い払っても戻ってくる。エサを与えるのだから当然だ。周りの人ももしかしたら同じことを考えてるのかもしれないが、その男性に注意することができない。

体が不自由でほとんど家から出られず、訪ねてくる家族や友人も居なさそうで、その自分に愛嬌を振りまいてくれる野良猫だけが、彼の孤独を癒しているようだ。 自分のうつ病時代の経験からいえば、孤独で、社会や世間から排除されたり、見捨てられたような気になった人間は、もう社会や世間とは関わりたくなく、つまり人間とは関わりたくなく、そういう動物相手に、自分の孤独を紛らわしていることもあると思うのだ。

公園でハトなどにエサをやる人もそうだが、社会ではあまりいい扱いなど受けてなさそうに見える人が、唯一群がってくるハトに、熱心にエサを与えている。その男性が猫にエサを与えているところを見かけたことがあるが、普段はアパートの周囲で行き違っても挨拶などもしてくれない人だが、やさしい顔をして、ときに微笑んだりしながら、猫にエサを与 えていた。

知り合いや友人の、動物好きの人と一緒にいて、ときに目にしてしまうことだが、飼っている犬や猫に対して、その人が人間には決して見せないような表情をする瞬間があって、ああ、この人は社会人としての仮面を取り去ると、こんな表情の顔になるのか、と何か盗み見てしまったようで、 はっとすることがある。

人には、そういう表情をする瞬間が、日々の中に必要だと思う。もちろん、愛する人の前でそんな顔になったり、社会で、職場の人に対しても、そういう顔を出せる人もいるのかもしれない。趣味は仕事と言えるような人なら。でも、そうじゃない人も居る。そうじゃない人が多数だろう。

だけど正直、同じアパートに住む住人としては迷惑なのだ。アパートのエアコンのダクトや配線とかが、猫にボロボロにされているのはまあいいとしても、周りがどうも獣のウンコ臭いのはどうにかならないか。ウンコすんなやぁ、と言っても猫には伝わらないし。わたしの姿を見かけた途端逃げるし。

でも、その寂しさを(勝手な自分の勘繰りと想像だが)わかる気もして、猫を保健所でどうにかしろとかは到底言えない。わたしも別に猫が嫌いではないし、それは残酷だ。

 

何事も簡単に言うことができない、という気がする。しかしわたしは憎たらしい。

2012.07.05 Thursday

 

広告を非表示にする