薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

股引の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

最近寒くてしょうがない。
特に下半身が寒い。
ああもう、「股引」を穿きたい。

毎年一月、二月のこの季節になるとそう思うようになっているのですが、何かの最終防衛ラインというか、そこだけは絶対死守というか、そこが落ちると本土を爆撃されちゃう最終防衛ラインというのがあって、そこが男にとってわたしは「股引(ももひき)」であるような気がして、「ももひき」にいつまでも踏み出せないでいるのです。

それは女性にとっては何でしょう、「ガードル」ってやつですかね。
あたしはケツが垂れてることを認めた、受け入れた、みたいな。
女性の「ガードル」攻防戦っていつごろから始まるの。訊いたら絶対不愉快な顔されるんで訊けないけど。

例えば永作博美とかも、「ガードル」穿いてんですかね、ああ見えて。子供生んだら穿くか「ガードル」。それとも骨盤体操とかして、意地でも穿かないのかな 「ガードル」。『八日目の蝉』で、「ガードル宣言」したと解釈していいんでしょうか。これからは「ガードル」的な仕事も請けますよみたいな。深津絵里も、『悪人』で「ガードル宣言」したと解釈していいんでしょうか。観てないけど、映画『悪人』のベットシーンに「ガードル」脱がすとこありました?でも「ガー ドル」穿いていそうな女の話ですよね。「ガードル」圏の話というか。

それとも普通に、二十代前半や十代後半から女は「ガードル」穿いているし、でしょうか。ユニクロで「ガードル」売ってるし、みたいな。でも、婦人公論最新号、「特集ガードル」とか見ないですよね。「本当のガードルの話をしよう」なんて記事、見たことがないですよ。いつまでも「ガードル」穿かないわたしは勝ち組なんて思ってんでしょうかね、まさかね。

個人的にはその、「ガードル」穿くか穿かないかあたりのところに、わたしは色気を感じるというか、そこらへんのいろいろな女のぐちゃぐちゃにウホ、っとわたしはくるのですが、わたしのそんなキモい告白や性癖はおいておいて、話を「ももひき」の方に戻すと、「ももひき」を穿いたとたん、わたしの中のブラッド・ピット国というか、心の中のブラピ国本土がB29に爆撃をうけて、焼け野原になっちゃうわけですよ。

もう革ジャン着れないよ、みたいなね。もうブラピにはなれないみたいな。

なんでしょう、もう十分伝わってて説明しすぎ、映画でいうと説明カットが多すぎて芸術性が落ちちゃう、というところかもしれませんが、かなり前でいうとスティーブ・マックイーンとかですかね。ジーンズに皮のフライトジャケット着てバイクで走り出すみたいな。ブラピとかにもだいたいそんなシーンあるでしょ。 最近ブラピの映画観てないけど、『ベンジャミンバトン』とかに絶対あると思いますよ。フォーエバーヤングというか。

 

日本でいうと高倉健とかですか、バラクータのドリズラーとか着て、ミリタリーのチノパン穿いてみたいな。ロレックスのスポーツモデルはめてみたいなね。庶民の味方ですけど高いみたいな。そこらへん狙ってくるみたいなね。実際は不器用じゃなくてすげえ器用で心配りの人でしょあなたはみたいな。そこがある時代の日本を代表するスターというかね。

でも健さんはいつのころからか、「ももひき」を穿いてるんじゃないか、イヤ穿いていないんじゃないか、みたいなところにいる感じですかね。それって『あ・うん』の頃から?『ブラック・レイン』の頃から?どちらも調べたら89年でしたね。そういえば矢沢永吉なんかにも、永ちゃんなんかにも、ドラマとか出たりしてそういう感じにした時期あったような気がしますね。

でも、それとも関係あるのかもしれませんが、そういえば最近の俳優さんは「ももひき」穿いてるような感じも少ししますよね。マツケンとか(暴れん坊サンバの方じゃないですよ)、松山ケンイチとか、妻夫木聡とか、森山未来とか、「ももひき」穿いてても(実際には穿いてないでしょうけど)、おかしくないって感じもしますもんね。ラクダ色の股引はいて、モコッと膨らんだ股の間がちょっと黄色くなった 「ももひき」、映画の中で穿いてても、そんな違和感ないというか。

でも、反町とか、織田裕二とか、江口洋介とか、福山雅治とかは、「もも ひき」穿いてなさそうというかね。穿いてても穿いてない振りするというか。でも何だか人によってはそこが痛々しいというか。だからやる役がなくなったり、人がカッコいいと共感しなくなって、本人は真面目にカッコいい男を演じてるのに、視聴者からはお笑いでしかないというか。そう思うと、「ももひき」怖ええなとか思いますね。木村拓哉が主演で、「昭和」の時代のドラマやってても、何かな、と思うのは、案外そういう「ももひき」というかね。「ももひき」の臭いがしないというか。

じゃあ韓流なんかはどうなんでしょうね、こう「ももひき」穿いてる感じだからいいんですか、女子的には。その韓流のスターの「ももひき」のモコッと膨らんだところに顔をうずめたいみたいな、何か韓流スターって、昭和な感じもどことなくするじゃないですか。昭和の「ももひき」臭があるじゃないですか。

だから今の日本的にはどうなんですか、男は「ももひき」穿くべきなの、穿かないべきなの、あくまで平成版だけど、どっちみたいなね。でも、USAって言うの、アメーリカって言うの、今でもブラピにはそういう「ももひき」穿いていない男みたいな感じでも需要があるし、ファイト・クラブって感じだし。

 

でも日本の男だと、何か革ジャン着てバイクで走ってて、いつまで経ってもオレは「ももひき」穿かないよなんて感じだと、まだカッコいいって感じもありつつ、かなり笑ってしまう感じもあるというかね。

何か日本だけ何か成立しないみたいな、虚像が虚像で成り立たないというか、今、『西部警察』やっても観ないよねみたいな、いやDVDが出たら買うけど、TVで毎週やられても困るというか。石原軍団の苦戦というかね。だからといってドラマ『マグロ』ってどうなの、という気もしますが。

でもまあ、ブラピみたいにはサラリーマンなんかは生きてないわけで、それはフィクションやファションだけのもので、「ももひき」穿こうが穿くまいが、まあそれはそれとして生活するし、ブラピの映画観るし、って感じですか日本では。じゃあオレが一人どうでもいいことをグチグチ言ってるだけですか。

こう物書きの世界では村上春樹とか「ももひき」穿いているんですかね。春樹はどうなの。初期は穿いてないけど、今は穿いてるかもしらん、でも穿いてないか、って感じですかね。いつの間にかそうしてるみたいな。村上龍はどうなんでしょうか、高橋源一郎とかは、大江健三郎中上健次は穿いてそうですもんね。

アメリカ文学とかで言うと、サリンジャーの登場人物は「ももひき」穿かないけど、フィッツジェラルドはOKって感じですかね。フィッツジェラルドは、「ももひき」穿かなかった人が「ももひき」穿くようになってから始まるというか、それでも「ももひき」穿かない振りして生きようとしてとか、「ももひき」がない世界を作ろうとして破滅するというか、あるいは「ももひき」以後の、「ももひき・ガードル」モラルを求めるんだけど失敗するみたいな。あれ、でも『ベンジャミンバトン』ってフィッツジェラルドだったっけ、もうわからなくなってきた。すみませんもうやめます。じゃあ「グレート・ギャッツビー」って「ももひき」がない世界を作ろうとして破滅する男の話なの。

 

2012.01.30 Monday