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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

「気をつけろ、変態者があなたを狙っている!!」

わたしの住むアパートの周りに、
「気をつけろ、変態者があなたを狙っている!!」
と大きく書かれた看板がいくつかたてかけてある。

その看板が目に入るたびに、なぜか自分のことを言われている気がして、一度あたりを見回してしまう。

「気をつけろ、変態者があなたを狙っている!!」
と看板に呼びかけられるたびに、わたしは自分のことを、「あなた」の方にではなくて、「変態者」の方に、自然と当てはめてしまっている。

わたしは変態ではないし、変態者ではない。

哀しいかな、何のとりえもない、ごくごく平凡的な人間だと思う。

 

わたしは自分のことをワルだとか、ちょっと変わったヤツに見せたいだなんて意識は、もういい年した中年なのでない。

なのに変態者の方に自分をあてはめている、自分自身が非常に不本意で、でも自分のこころは偽れないので、これはなんだ、という気持ちになる。

常に自分が被害者意識を持って生きているよりも、自分は誰かにとって加害者(変態者)になるおそれがあるのだ、と思っている方が、まっとうな大人である気がする。これはわたしが常に人にやさしくあろうと心がけている、紳士であるという証ということでいいのだろうか。常に人は誰かにとっての変態者になる可能性があるのだと。

別にわたしは変態者ではないのだが、わたしでさえ、こんな感じなので、これは本当の変態者が見ても一瞬ドキリとするだろうな、と思う。

 

しかし変態者とは哀しい生き物だ。自分が周りの人とはどこか違うと気づきながら、それを隠し、でも自分自身には隠し切ることができず、ついそれを見つめてしまう。

人はみな、どこか変な、あるいは汚い、あるいは卑怯な面を持っているものだと思うのだが、気をつけろ、変態者があなたを狙っている!!という看板を作る方は、自分の中にあるその歪さを、見つめない人間であるから言えるのだろうか。

それとも変態者は、自分をコントロールできない子どもで、世の中の世間を構成する大人は、自分の歪さには気づいているが、それを見つめ常に抑圧して、世間にあわせて生きている、だか未熟者の変態はそれができない、発達障害者がいるぞ、と注意をうながしているのだろうか。

それが最近よくわからないので、見るとドキりとするのだろうか。

自意識過剰なのだが、偶然その看板たちは、わたしの住むアパートを取り囲むように設置されている。


まるでわたしが外に出ないための、結界を張ってでもいるかのように。
わたしの近所以外では、その看板も見かけたことがない。

「気をつけろ、変態者があなたを狙っている!!」

最近人が皆不気味に見える。

 

2011.07.30 Saturday