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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

へんな趣味に目覚めて

ちゃんと世の中は回っているようだった。
今日、近くのスーパーに行くと、あれほど品不足だった女性用生理用品もたくさん置いてあり、米も、お一人様ひとつ限りとなっていたが、福岡産の米、五キロの袋が積み重ねてあった。
別にわたしは、今すぐそれらを必要とはしていないが、少しよかった、という感じがした。
だがしかし、わたしが求めているトイレットペーパーだけが、まだ棚に見当たらなかった。
何とか代用品を、と店内を探してみると、大人用紙おむつだけが大量に売れ残っているのにわたしは気づいた。
わたしはじっと大人用紙おむつを見つめた。
わたしはこれを使っている自分の姿を思い浮かべてみた。
部屋の中で、赤ん坊のように白い紙おむつをつけて、一人じっとしているわたし。
なぜ三十も過ぎたおやじが、赤ん坊と同じ格好をしてうどんを食べたり、本を読んだり、原稿を書いたりしなくてはならないのだろう。
確かにわたしは三十も過ぎて、まだ年に一、二度うんこを漏らしてしまうときがあるが、それ以外の通常時には、まだまだ排泄を自分の管理下に置くことには成功している。
紙おむつを穿いて過ごすということは、排泄を管理下に置いているのに漏らさなければならないということで、赤ん坊も漏らしたら泣くように、やっぱりそれは不快であるわけだし、わざと漏らすというのは、生まれたときには平気でうんこを漏らし、泣き喚き、周りの者に処理をさせていたワイルドなわたしも、矯正と教育の結果、トイレでうんこをするようになったわけで、そっちの方がもはや自然という風になっているわけで、それをわざわざ漏らすというのは、かなり精神的にも抵抗があり、するたびごとに、自分の中の何かと闘わなければならなくなる。
わたしの職業は作家であり、つまり精神の冒険者であり探求者であるので、自分の中の何かと闘うというのは魅力的で、それをするゆえ、周りからも何とか居場所を与えてもらって、お米やトイレットペーパーを買うお金を頂いているわけで、闘ってもいいかな、とも思ったのだが、別にわざわざうんこを漏らすという方面で闘う必要もないわけで、ここはやはり人生いかに生きるべきか、 という問いなどと闘うべきであるし、まだまだ余震の止まない今現在、大きな余震に驚いておむつ姿の中年が外に跳び出してきたら、近所の人はなんと思うかわからず、もはや引っ越さなくてはならなくなる。
それに、正直そこに少し何か惹かれるものもあるのだが、おむつ姿というのは、いったんしたら、何かスイッチが入ってへんな趣味に目覚めても困るので、その選択肢は却下しておいて、わたしはまた数日様子を見ることに決めた。

 

2011.03.20 Sunday