読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

子どもたちと遊ぶすべり台

日記 告知

図書館で調べものをした帰り道、公園の前を通った。
子どもたちのはしゃぎ声が聞こえる。
見ると、木陰にあるすべり台で遊んでいた。
女の子ふたりと、男の子ひとりが遊んでいた。
ひとりの女の子が年上のおねえちゃんで、もうひとりの女の子と男の子が同い年ぐらいだった。
三人とも、何が楽しいのか、すべり台の階段を上までのぼっては、奇声をあげて坂をすべりおりている。
そしてまた、下までおりると、直ぐに階段のある側に駆けて行き、楽しげに、階段を一歩一歩リズムをとるようにしてのぼっていっては、ためていた何かをはじけさすように、また奇声をあげてすべりおりる。
三人が順番に、時々誰かが誰かを追い抜かしそうになりながらも、しかし順番通りに延々と、飽きもせずそれを繰り返している。本当に楽しそうだ。
金属の遊具を中心にして、子供がその階段をのぼり、坂をすべり、直ぐに走り出して階段の方に回る。また階段をのぼっていく。
それをじっと見ていたら、ふっと、すべり台が羨ましい、と思った。
あんなふうになりたい。今度生まれ変わるなら金属のすべり台になりたい。
あれは実は、生まれ変わったひとりのおやじ、という可能性はないだろうか。
そっと坂をすべる子供たちの尻を受け止め、階段をのぼる子供たちの足から、子供たちの重みを感じ、だまってじっとしたいようにさせてやる。生まれ変わった見知らぬおやじが、そうさせているという可能性は。

しばらくじっとみていたら、自分はあのすべり台ほどのものが書けているだろうかと思った。
本が出て、物書きの端くれにはしてもらったが、とてもあのすべり台程とは思えない。端くれから落っこちそうだ。これからはすべり台も、すべり台さん、とさん付けで呼ばないといけないのかもしれない。

自分と比べて、あの子どもたちのなんと元気なことだろう。
からだの内側にあるエネルギーのようなものが、走ったり、のぼったり、すべりおりたりするときに、からだの外側に飛び出していきそうな勢いだ。

自分にもそういうころがあったのだろうか。思い出してみようとしたが、すべり台で遊んだことがあるのは憶えているが、そのときの気持ちや、からだがどういう 動きをしたか、感じたか、ということまでは、憶えてはいなかった。微かに、感覚がもう戻ってはこないほどに、どこかに眠っているような気はするだけだった。

自分はもう大きな肉の塊になってしまったんだな、と思う。子どものころは苦もなく走れたが、いま走ると息が切れ、いうことをきかないからだを感じるだろう。しかし、別にそれで悪いとは思わない。それでいいと思う。




久々に、このブログのログを見たのですが、こんなロクに更新もしていないブログを、ときどき検索したり、ブックマークして頂いているのか、訪れてくださっている方がいらっしゃるようです。もし、いまご覧になられている方でしたら、本当にありがとうございます。

このたび、わたくしは本を出すことになりました。これは、あなた様に、出させて頂いた本だと思っております。本当にありがとうございました。

このブログが、いろいろある皆様の毎日のお暇つぶしや、気晴らしがわりにでもなりましたら幸いです。

 

2009.07.14 Tuesday