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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

作家とはなんだろう

都庁に行って、石原慎太郎Tシャツはなぜ売っていないのかと職員に詰め寄るクレーマーと化した自分の夢を見た。
わたしは村上龍Tシャツを着ていた。
つまらない事でも訊かれたのか、ちょっと不機嫌そうな顔をしたときの、村上龍氏の顔を勝手に印刷した自作のTシャツのようだった。背中にカタカナの青字で、ドラゴンと書いてあった。自分の夢なのにひどいセンスだと思った。

わたしは外では着られないが、ふたりのTシャツがあったら欲しい。
なければいずれ作ってしまうかもしれない。
尊敬する小島信夫のグッズも作りたい。しかしふたりとは違い、小島信夫はTシャツではない気がする。
小島信夫はなぜかベースボールキャップがいいような気がする。本来野球チームのマークがバランスよくある場所に、前面すべてを占めるぐらいにでかでかと小島信夫の顔があるのがいい気がする。被ると、顔の上にさらに小島信夫の顔があるという状態になってしまうが、それがとてもいい気がする。それこそ小島信夫だ、という気がする。

小島信夫は死んでしまった。わたしは当然情報としてしか知らないのだが、亡くなられたらしい。自分は百歳まで生きて小説を書き続けるのだ、と仰られたらしく、そしてそう言って幾日も経たないうちに、体調を崩され意識を失われたらしい。作り話だと思われるぐらいに小島信夫だ。
作り話かもしれないが、そんなことはどうでもいい。

しかし亡くなったと言われているのに、小島信夫はいまも実は生きていて、どこかに隠れて小説を書き続けているのではないか、という気がするのはなぜだろう。なぜかわたしはそんな気がする。何かそういう小説を書いたら面白そうだ。

ある日、実は小島信夫はまだ生きていて、小説を書き続けているから、小島信夫を見つけ出して捕えてほしいという依頼が、なぜかわたしのもとにロックフェラー財団から入る。
これはいけると思ったが、どこかで聞いたことがあるようなストーリーだな、と思ったら、ブコウスキーの小説にそんなのがあったことを思いだした。

一年一年経つごとに、みんな一つずつ歳を取り、やがていなくなってしまう。
石原慎太郎村上龍もやがていなくなってしまう。石原慎太郎公式サイトで見たら、石原慎太郎は七十六歳だった。十年後、2018年、石原慎太郎はいるだろうか。2018年の石原慎太郎

そう考えると、ぎりぎりわたしぐらいの年齢の作家が、芥川賞にノミネートされ、石原慎太郎に貶されたりするのは、幸せなことなのだと思う。適当に褒められたりするよりは、死にたくなるくらい徹底的に貶されるのがいちばんの幸せのような気がする。

早くしないと慎太郎はいなくなっちゃうのだ。
どこを探しても見当たらない。東京中探し歩いてみても、都庁の部屋の扉全部開けて回っても、どこにも慎太郎はいない。良純を問い詰めてみてもいない。

こういう感情がわくのは、自分が小説好きだからだろうか。何か違う気がする。
他の芸術の分野の大家が死んでも、あまりそういう感じは持たない気がする。
その作家に対する好き嫌いとも関係がない感じがする。小説家、という存在の何か本質に係わるものなのだろうか。

 

2008.08.25 Monday