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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

百円落としたんです。

最寄りのスーパー、ハイパーマーケットオリンピックで、買い物を終え、家に向かって歩いていると、あの、すいません、すいません、と後ろから誰かを呼ぶ声がする。
わたしは人に呼びかけられるおぼえもないから、無視して進んでいると、あの、すいません、すいません、とまた呼ぶ声がする。
なぜか、わたしに言っているらしい。
振り返ると、男子小学生がいた。小三ぐらいだろうか。寝間着のようなスエット上下を着ている。
なに?と訊くと、あの、百円落したんです、と言う。
えっ、と訊き返すと、オリンピックの前で、百円落したんです、と言う。

知らないうちにわたしが落とした百円を拾ってくれ、手渡してくれようとしているのかな、とも思ったが、なんだかそうではないらしい感じがした。
百円落としたってなんなの、言っていることがよくわからないです、と思ったが、相手は子供なので、そう言葉には出さず、えっ、と聞き返すような身振りをもう一度してみた。
するとまた、百円落しちゃったんです、と繰り返す。
その言葉の言い方が、百円落しちゃったんです(だから百円ください)という風に聞こえた。
どうやらそういうつもりで言っているようである。
何の関係もないわたしが、なぜあげなければならないのだろう。
お父さんやお母さんは、とわたしは訊いた。
すると、近くに建っている団地の方を見た。
わたしもその団地の方を見た。
あそこに居ます、という意味だろうか。
しかし、それ以上は何の説明も加えずに、百円落しちゃったんです、とまた言う。
今度は俯いて言う。
どこか遠くから来たの、と言って、強く回答を即す空気を出すと、いや、とだけ答えた。
じゃあ悪いけど、おじさんではなくて、家に帰ってお父さんやお母さんに言った方がいいよ、と言って、わたしは歩きだした。
自分が言ったおじさんという言葉が、妙に響いた。
自分は小学生に対して、自分のことをおじさんと言った、と思った。
妻も子供も姪も甥もいないのにおじさんと言った、と思った。
見ないようにしていた年齢が、追いかけて来て背中に飛びついて来たような感じがした。
信号が赤なので待っていると、あの、あの、とまた自分を呼ぶ声がする。
振り返るとまたあの小学生がいる。
どこから取り出したのか、遊戯王だかデジモンだかポケモンだか知らないが、何かそういうカード出してそれをくりながら、俯いて視線を合わせず、百円落したんです、と言う。
そしてちらっと、困ったように、こちらを見る。
しかしそういうカードを持っているということは、お金がないわけではなさそうである。
家に帰ればありそうである。
家も近くにありそうである。
わたしは家に帰ってもないし、財布にはいま二百円しかない。
二百十五円しかない。
何でそのうち百円を、君に遣らねばならんのよ、と思った。
おじさんも無いんだよ、と言うと、しばらく黙ったのち、でも百円落したんです、という。
子供の自分が言えば、と思っているのだろうか。
なんだかちょっと気味が悪くもなってきた。
信号が青になって渡り始めたら、小学生もついてきた。
角を曲がっても、橋を渡ってもついてきた。
橋を渡りながら、あのすいませんすいませんと呼びかけてくる。
怖くなって走って逃げた。
小学生が追い付けないスピードで走った。

 

2008.02.20 Wednesday