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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

散歩

ダイエットの為、夕方、日が傾きすこし涼しくなった頃から、散歩をするようにしている。近所を三十分ほどあてもなく、ぐるぐると周る。

散歩をしはじめて思ったが、わたしの家の周りには、神社や寺が多い。

大げさかも知れないが、角を二つ三つ曲がると、もう目の前に神社があったり、寺が見えてきたりする。

区が、その神社や寺の前に立てている、いわれなどが簡単に書かれた看板も、わたしは隈なく読むようになった。そこには歴史上の、どういった人物が埋葬されているかなども、ちゃんと書かれていて、観光客は訪れないような、町の一角にある何のへんてつもない寺に、教科書に出てくるような文人や、有名な浮世絵師の墓が、それこそ普通にあることを知り、ちょっとわたしは不思議な気分になってしまった。つまりこれが、東京(江戸)ということなのだろうか。

 

自分が普段うんこをしたり、スーパーに惣菜を買いに行ったりしているその直ぐ側に、そんな人の墓があるのだ。そうか、死んでここに埋められたのか、とよくはわからないが、そう思うのだった。

歴史に名を残した天才も、わたしのように仕事が無くてうじうじしたり、まわりに愚痴りまくって鬱陶しがられたりしたこともあったのだろうか。とてつもない傑作をものにしたと思い、世界を手にしたような、そんな気分になったのだろうか。

どちらにしろ、いまはこの地面の下に埋められている。

わたしにはわたしのつらさがあるが、彼らには彼らのつらさがあったのだろうか。

そして毎日うんこをしたり、買い物に行ったりして、みんな消えていったのだろうか。

ある日、暑かったのでソーダアイスを食べながら神社のいわれを読んでいたら、推古天皇の時代に創建と書いてあった。西暦600年ぐらいのことだ。2007年 の6月に、腹の出たおやじがソーダアイスを食べながら、そのいわれを読んでいる。向かいの家にはあじさいが咲いていた。別の時代にも、周りにあじさいが咲いていたことはあったのだろうか。

千四百年以上も、ここに変わらず神社があった。わたしがいまソーダアイスを食べている場所で、餓えて死んだ人がいるのかもしれない。追い剥ぎに遭って殺された人がいるのかもしれない。人目の無い夜、子供が親に騙されて、捨てられたのかもしれない。ある祭りの夜には、若い男女が乳繰り合っていたのかもしれない。みんなみんな消えてしまった。神社だけが残ってる。ここをもし見たら、彼らはなんて思うのだろう。

 

2007.06.29 Friday

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