薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

上京日記(59)

六月七日

Cさんに呼び出され竹橋へ。随分長いプラットホームだなー、と思って歩いていたら、大手町方面出口、と書いてある。無言で引き返すと、逆方向が竹橋の改札だった。パレスサイドビルの上島珈琲に居ます、と携帯にメールが入る。

上島珈琲を見つけ店内に入る。名前から昭和風の喫茶店を想像していたが、最近主流のカフェ的な店構えだった。地下の店なので、また独特の趣がある。

仕事の打ち合わせをしているのか、スーツ姿の人達や、ノーネクタイに洒落たジャケット姿(これがクールビズというやつか)の人達がいる。入口のカウンターでいちばん安そうなアイスティを注文し、トレイで渡されたアイスティを持ってキョロキョロしていたら、こちらを見て手を挙げる人がいる。よく見るとCさんだった。

Cさんはピンクのギンガムチェックシャツに、グレーのジーンズを穿き、草履を履いていた。テーブルの上に黒のMacBookが置いてある。わたしを待つ間、なにかチェックをしていたらしい。

わざわざ来て貰ってすみません、と言われたが、広島出身のわたしが、用事で皇居の直ぐ側まで来るのは、まるで旗本や貴族になったかのような気分で、ちょっと嬉しい。

その日、わたしはちょっとおかしかった。

宇宙の外はどうなっているのか、とか、生命と物質を分けているのはなになのか、とか訊いてCさんを困らせた上、ここでいま見ている上島珈琲の店内も、わたしが見えるようにはCさんには見えていないのかもしれないし、見えているのかもしれない。しかしわたしはCさんになることは出来ないので、それを確かめる術がない。

そのために言葉というものが出来たのかもしれない。そういうことを考えれば考えるほどどんどんと話が長くなって終わらなくなる。だから会話というのは決着をつける為にするものではなく、ただ話す為にするべきだ。勝敗のないボクシングの試合のようなものだ。リングに立つ事に価値がある、殴り合うことに価値がある。

でも、このパンチはオレが打ちたかった種類のパンチとは微妙に違うとか、あいつがこう打ち返して来たから、きっとさっきのパンチをあいつはこういうパンチだと勘違いしているとか、もうグダグダで何を言っているのか自分でもわけがわからなくなってきて、Cさんは非常にウザかったに違いない。

お前が子供が産みたいからって、代理出産で子供を産んだとして、その子供に背負わせるものをそいつは想像しているのか、とか、でも子供が産みたいやつに面と向かってそんなこと言えないとか、子供がいないと自分という存在の意味がそこで終わってしまう、という感覚は、何かを遣れた、という実感がない人にとっては重大なことではないか、とか、じゃあクローンはどういう願望の結果なのかとか、人間の死ってどういうことなのか、尊厳死とは、とか、同じフロアーの中華料理屋「赤坂飯店」に移り、内装を見たり、店員の姿を観察したり、店の奥は結構豪華な作りだな、とか、ときどき意識をあっちこっちに散漫とさせながら、 延々と話続けた上に、棒棒鶏麺と小籠包子までご馳走になり、Cさんの食べてる坦々麺も美味しそうだななんて思いながら、突然やっぱり神はいるな、いるに違いない、それともオレは電極に繋がれていて、全部これはある種の、何かしらの意図を持って見せられている幻なのだ、とか、仕舞いにはオカルトちっくなことまで口走り始めた。

東西線飯田橋まで出て、プラットホームで別れた。列車でCさんは西へ、わたしは東へと行く。わたしが話し過ぎたせいでだいぶ遅くなった。Cさんはさらに新宿で乗り換えると言う。

東へと向かう車内で、哲学科出身のCさんにとってみれば、わたしの口走っていたことはどれもこれも程度の低いことで、それに付き合ってもらい、全く長い時間主に聞き役に徹してもらっていて本当に申し訳なくなり、何であんなに話しつづけてしまったんだろう、と自己嫌悪にとらわれた。

まれに、こんなに病的に話が長くなってしまうことがある。別の自分がそれに気づいていて、何とか話を短くしよう、まとめよう、切り上げようと思っているのだが、上手く区切りができない。そしていつも、相手と別れた後にひどく落ち込んでしまう。

車内にはいろんな人がいて、男の学生が、携帯音楽プレーヤーについて話していた。後輩らしい連れの女子学生が、相槌を打っていた。目の前に立っているOLは、何だか疲れきっているようだった。窓から、夜の秋葉原や両国の町を見た。最寄の駅に降りて、友人に携帯で電話を掛けたら、また鼻息が荒い、と注意された。

 

2007.06.07 Thursday

 

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