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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

上京日記(58)

六月五日

ブックオフで立ち読みをする。マンガ『プラモ狂四郎』を見かける。なつかしい。

リアルタイムで、子供の頃読んで以来だったが、かなり場面とか、話の展開とか、うわーこうだったこうだった、とはっきりと憶えていて、記憶って不思議なものだと思った。

なぜ、別に暗記するつもりでもなかったのに、ここまで憶えているものだろう。

押入れの奥の板に、隠し扉があるのを偶然見つけて開けたら、いつのまにか忘れていた、無くしてしまっていたものが、なぜかあの頃のままの形で出てきたような感じがして、何だか不思議で、とても心地よい感覚を味わった。

また読んでいると、『プラモ狂四郎』を憑代というか触媒というかして、グフのヒートロッドの改造とかを自分でも実際にやっていたことや、ガンダムのプラモは人気があったので、凄い競争ですぐ売り切れてしまい、福屋というデパートのおもちゃ売り場にわざわざ母親にねだって連れて行って貰ったのに、自分はまだ小さかったので取り合いの競争に勝てるわけもなく、武器セットやボールなどの売れ残りしか手に取ることが出来ず、ボールの箱を見つめながら、悲しい気持ちになっていた、ちいさな子供の時に味わう特有の悲しさとか、近所のプラモ屋で、シャアゲルググが売ってあるのを偶然見つけ、これ以上速くは走れないというぐらい速く走り、シャアゲルググの価値がわからない親にいかにシャアゲルググが凄いのか説明しようとし、親にお小遣いの前借を頼み込み、小銭を握り締めてプラモ屋に向かい、まだ売れてないのを確認して、シャアゲルググの箱に手をかけようとしたときのドキドキ感とか、そういうのが、次々と自然に浮かんできた。

あの頃の景色やあの頃の自分に、また久しぶりに会ったようでとても嬉しかった。

物語や音楽というものは、普段、それを憶えていることも忘れているのだが、一度体験したものは脳のどこかに記憶されていて、思い出した瞬間から、それを読んだり聴いたりしたときのことも一緒に思い出したりするので、とても不思議である。

プラモ狂四郎』は、わたしにとってはガンプラに熱中していた子供時代を思い出すための記憶装置である。だから買い揃えたいが、いまは貧乏なので買い揃えられない。いつか買い揃えてやろうと思う。それまでに、『プラモ狂四郎』が残ってますように。

こういうことは、いつのまにか忘れてしまうので、ここに書き記しておく。

ブックオフを出て町を歩いていたら、元テレビ朝日アナウンサーの丸川珠代が街頭に立っていた。

丸川珠代だと自分から気づいたわけではなく、ウグイス嬢?(実際にはおばさんだったが)が、丸川珠代がここにおります、皆様に挨拶に参りました。実際に丸川珠代が見れますよ、握手をしてみませんか、などとメガホンで呼びかけているので、その隣でかしこまっている非常に痩せた、白い服を着た女の人を注視したら、確かにテレビの画面で見たことのある、丸川珠代に似た女の人だった。本物の丸川珠代だろうか。

テレビでしか見たことのない人が目の前に現れたので、自分の頭の中の丸川珠代と、目の前の丸川珠代が、微妙にズレる。そっくりさんと本物が交互に登場する舞台を見ているというか、何か変な感覚だった。

隣に立っている白いスーツを来たデブは誰だろう。政治家か、何か大物らしいが、大臣の顔も正確に憶えていないような不届きもののわたしなので、誰だがわからない。

東京に住んでいるのはこういう利点もあるのだな、と思った。首相のボディや都知事のボディを、自分の目である程度の距離から見ることができるのだ。

しかし、たとえ首相や都知事を見ても、限りなく似たそっくりさんや、ボディだな、と思えるような気がする、目で見るよりも、画面に写っている首相や都知事の方が、本物かもしれない。不思議だ。

 

2007.06.05 Tuesday

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