読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

町と身体感覚

新宿伊勢丹へ行った。
通りを抜けたらそこは伊勢丹だった。

昨年はじめて行ったときは、地下街を抜け階段を登ると、そこが伊勢丹だった。そのような記憶があったので、通りを抜けていきなり伊勢丹が現われたとき、ちょっとわけがわからなくなった。

東京へ来るのは二度目で、東京という町にまだ土地鑑がない。この通りをまっすぐ行くとあそこに出る、あの角を曲がって三つ目の通りを左に行くとあそこに出 る、といったような感覚、そういう住み慣れた土地に持っている感覚、そのような感覚が、東京という町に対して、まだ自分の身体に染み付いていない。なの で、気づくといつのまにか、知っている場所にワープしていたような、変な感覚におちいる。しかしそれは案外いやな感覚ではない。

そのような状態のときは、町の景色が新鮮に見え、建物なども何だか艶かしく見え、奇妙なものはより奇妙に見える。それが、その都市に慣れ、自分の中に、身体や記憶の地図が出来ると、景色がいつのまにかそのようには見えなくなる。

慣れない町は、子供の頃ちょっと冒険をして、いつもの道を自転車で少し遠くまで行き、見知らぬ町に入ったときに感じた何か、テレビゲームなどで、初めてたどり着いたステージを、あてずっぽうに進んでいるときに感じた何か、そういった何かを、思い出させてもくれる。

東京という町はとてつもなく広くて、わたしにはとても憶えきれそうにない。どこまで行っても町がある。たとえが変だが、人工に作られた天然の迷宮だ。地下街という、地下迷路まである。地下通路を、矢印に従って進んでいたら、目的にしていた地下鉄の駅の隣の駅まで、ずっと地下を通ったままで行ってしまった、 ということも東京に来て体験した。東京の人には当たり前のことかもしれないが、地方都市に生まれ育ったわたしにはとても不思議な感覚である。

地下鉄が地下街に通じ、それがまた別の地下鉄に通じ、その地下鉄が着いた場所が、ある建物の地下の入り口など通じていて、地下地下地下地下、最寄の地下鉄 の駅から、用事を済ませて帰ってくる一日の間、ずっと地上に出ないで、地下を行ったり来たり乗り換えたりしているという、まるで地下都市に生きる地底人みたいなこともでき、東京は非常に楽しい。街路にいきなり入口と出口があったりして、一瞬ここはどこだ、というような感覚を助長する地下鉄がわたしは好きだ。楽しい。

 

2007.02.07 Wednesday

広告を非表示にする