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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

伊勢丹で絨毯を見る

広島日記

わたしは絨毯が好きである。
特に絨毯のなかでもペルシャ絨毯が好きである。
デパートに行ったときは、必ず絨毯売り場に足を運ぶ。

最近絨毯は売れないのか、絨毯を置いていないデパートがあるが、冗談ではない。デバートをなんだと思っているのか、わたしは絨毯の置いていないデパートなどデパートとは認めない。絨毯を置いているからデパートというわけではないが、デパートたるものは絨毯を置かねばならない。それも、絨毯という言葉にふさ わしい絨毯を置かねばならない。絨毯というよりも、カーペットという言葉がふさわしい敷物ではいけない。それではショッピングセンターかスーパーである。 デパートとはなにか、わたしの日記はデパート関係の人が読んでいるだろうし、読んで無くても近い将来読むだろうから、ここに書いておく、それは絨毯が置いてあるところである。肝に銘じておいて頂きたい。

これまた言うまでも無いことかもしれないが、絨毯といえばペルシャ絨毯である。絨毯の王様はペルシャ絨毯である。要するに絨毯が置いてあるというのは、ペルシャ絨毯が置いてあるということである。

新宿伊勢丹のデパート振りを、一年ぶりに視察するため、さっそく友人に絨毯売り場まで案内して貰った。

気のせいか、絨毯売り場のスペースが凄く小さくなっている。天下の新宿伊勢丹百貨店が、どうしたことであろう。一流デパートたる伊勢丹でさえ、絨毯にはこのような扱いをせざるを得ない、ということであろうか。未だかつてないほどの逆風が、絨毯に吹いているのかもしれない。そうでありながら、絨毯を置くことを止めていないというのは、伊勢丹のデパートとしての誇りであろうか。

大好きなペルシャ絨毯を、まじまじと見つめた。
何度見てもペルシャ絨毯はいい。趣が違う。
じっと絨毯を見つめ続けた。
ひとことも口をきかず一心不乱にペルシャ絨毯を見つめ続けている男を不気味に思っているのか、それとも、身なりが粗末なので客にならないと思っているのか、いつまでたっても店員が寄って来ない。

わたしは将来、来世か、来々世に、新宿伊勢丹を買収するのであるが、未来のオーナーに対して、もう少し別の扱いがあるのではないかと思うが、どうなのであろう。

店員は、いつまでたっても一声も掛けてくれないので、こちらから何か話し掛けよう、と思ったが、なんと話し掛けていいかわからない。
ペルシャ絨毯は高価である。残念ながらいまのわたしには買うことが出来ない。いや見事ですね、この織りと柄が、何とも堪らない、などと言って、店員とふたり並んでペルシャ絨毯をじっと見つめていても仕方がない。変な空気が漂う。嫌がらせに近いかもしれない。そう思うと急に、買いもしないくせに押し黙ったまま絨毯売り場に根を生やしたように立ち続け、尋常ならざる目つきで絨毯を見つめているというだけでも、嫌がらせに近いかもしれないと思った。

ただでさえ売上の芳しくない絨毯売り場に居座り、これ以上絨毯の売上を落としては、絨毯売り場が伊勢丹から消えてしまうのも直ぐそこである。伊勢丹でペル シャ絨毯を見つめるのは、わたしにとって至福のときである。そのような行為を末永く続けたいので、泣く泣く売り場からわたしは離れた。

最近の若者らしく、オシャレオーディオビジュアル機器を見つめている友人に、わたしは声を掛けた。機器は、実際の部屋に設置されたような装いで、家具などとともに展示してある。よく見ると、展示してある製品の多くが、B&Oというメーカのものであるらしい。B&Oだなんて、二昔前の漫才師のような名前である。ビーアンドオーってなに、と訊いたら、バングアンドオルフセンという北欧のメーカーだそうである。オシャレ子には、根強い人気のあるメーカらしい。

値札を見ると、えっ、一桁違うんじゃないの、というような高額な値段がついている。こんなにするの、と言ったら、そう?、こんなもんでしょ、と言っている。しかしそれでも、ペルシャ絨毯に比べればまだ大分安い。それでわたしは少し不安になった。なぜかというと、わたしがオシャレオーディオビジュアル機器を冗談じゃない、と思うように、わたし以外の人間は、ただの敷物にそんな値段冗談じゃない、と感じるのではないかと思ったからだ。

友人でまず試してみることにした。わたしは、将来出世したら、ペルシャ絨毯を買おうと思っている、と友人に言ってみた。すると、なぜか笑いやがった。書斎に敷くのだと言ったらまた笑った。幾らするのかと訊くので正直に答えたら、黙ってこちらを見つめた。やはりその値段に引いているようである。
中古の車が買えるじゃない、と言う。いや新車が買えるよ、と言いなおした。
車なんか乗らないよ、とわたしは言った。そういう問題ではないと食い下がる。
ペルシャ絨毯のこともわからないくせに生意気な奴だとわたしは思った。車などはもってニ十年程、次々と新しいのに買い換えないといけなくなるという一種の罠である、それに比べてペルシャ絨毯は一生ものであり、買い換える必要などは全くない、素晴らしい肌触りで、いつも快適にいられる、とわたしは言った。
将来奥さんとかが居たとして、納得しないんじゃない、と言う。
強硬に反対するようなら、離縁を言い渡す、断固たる決意でやる、他のことはどうでもいいが、ペルシャ絨毯だけは譲れない、とわたしが言っても、友人はまだはっきりしない顔をしている。
それに、とわたしは言った。それになに、と友人は訊き返してきた。
ペルシャ絨毯は九十年経ったら、空を飛べるようになる。
友人はわたしの顔をしばらく黙ったままじっと見つめたあと、生きてないよね、九十年後は、と呟いた。

 

2007.02.08 Thursday