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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

コロコロ

いったい人間のからだにはどれくらいの毛が生えているのだろう。

コロコロをかける度にそう思う。

コロコロすると、コロコロに、無数の毛が貼り付いている。

毛だらけである。毛だらけというよりも、もう毛もぐれである。いったい、これほど夥しい量の毛が、どこから湧いて出たのか。わたしからであるが、女のように色白の、わたしのからだから、こんなに毛が湧いて出たなんて、認めないわ、である。薫はうんこだってしないの。

女性と電話をしていて、長く話しているから、トイレに行きたくなっちゃった、また後で掛けるね、と言われたとき、うんこをするね、と訊いたら叱られた。ト イレに行くと言っているのに、なぜ、うんこか、と訊いたら叱られたのだろう。うんこではない、と強く言われた。トイレに行くと言ったからには、二種類しか ない。なぜ、うんこの方だと思ってはいけないのだろう。それは自由では。なぜ、液体はよくて、固形はダメか。不可思議ふしぎ。間をとって、三分以内で戻っ てこなかったら、うんこだと思うことにしたよ、と提案したらまた叱られた。

毛は、なぜ生え、また抜けるのか。生えるなら生えつづければいい。抜けるなら、始めから生えねばいい。バカである。分数の掛け算などできないに違いない。 何を考えているのか、黒々として気味の悪いやつである。色気づいた時分から生えてくるやつなど、はじめからパーマをあてていて、不良である。

女子など、多くの毛を、生えたそばから目の敵のように剃毛脱毛している。一部分以外の場所に、生えることを嫌う。生えなければいいと思っているらしい。永 久脱毛まであるそうである。生えなければいいのか。まったく毛の生えないからだに、マジックで髪と眉を書き加えている様は、ちょっと想像しただけで気持ち が悪い。やはり生えた方がいいようである。無いよりは、生えつづける方に統一するのが、よっぽどいいようである。

しかし、生えつづける毛というのも厄介かもしれぬ。生えつづけたままになるなら、腕毛が伸びに伸び、町行く人々が、ジュディオングの「魅せられて」のよう な状態になってはいけない。毛は腕毛だけではないので、もう、人間と言うよりも、黒い毛玉が、町じゅうを行き交っている、という状態になってしまう。繁華 街とか、ラッシュアワーの電車内とか、学校とか、思い描いただけでも気が狂いそうになる。

いまわかった。悟りを得た。毛は、だからこそ、生えながらも抜けるという、いっけん中途半端にも見える態度を終始取りつづけているのだ。これは失礼した。相対性理論も理解されている筈である。やはり毛さんと呼ぶべき方だったのだ。

 

2007.01.15 Monday

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