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薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

しろいひと

壁をするすると登り、ぐらぐらと触覚を動かす。クロやチャイロのからだをして、どうどうとしろい壁にとまる。しばらくじっとしているようで、とつぜん動き 出す。台所にいたかと思うと洗面所にあらわれ、戸棚の扉をななめに横切っていたかと思うとカーペットの上を歩いている。誰かに見られているような気がして 振り向くと後ろの壁にとまっている。何を考えているのかわからない。

何も考えていないのかと思うと、わたしに気づくと物陰に隠れたりする。わたしが見つけたことに気づくと駆け出して逃げる。かと思えば、壁の隙間に頭だけを つっこんで、いつまでもそのままじっとしていたりする。いったい何を考えているのか、そういう趣味なのか、なんとも気味が悪い。

気味の悪い趣味を持っている可能性は他にもうかがわれる。自分たちが潜む場所をうんこだらけにして、たむろしている。駆除の毒エサの方式から考えて、うんこを食うのを好んでいる。特に女子がそうである。

戸棚や玄関を掃除していて気づいたことだが、行った場所や、普段通る場所に、うんこをしているようである。うんこをする場所も、何だか決まっているような 気がする。うんこがしてあるので、掃除をしたら、またしばらく経つと、同じ場所にうんこがしてある。仮説の域を出ないが、うんこで情報を伝達しているの か。色か、臭いか、形か、それとも総てか、小さすぎて、わたしには判別できない。しかしどうもそのような節がある。よく見かける場所で、つかまえつづけて いたら、そこにうんこがしてあるのを境として、まったくその場所には現われなくなった。

夜、パソコンキーボードを打っていると何だか足がかゆい。見ると、他人の足の指にまとわりついている。そして、足にまとわりついていたくせに逃げ出す。やはり、何を考えているのかわからない。

食料が目当てであれば台所に潜みつづけていればいい。何度命を奪われても、わたしのいるリビングへの侵出を止めようとはしない。もはや、幾世代にも渡って繰り返されている。

リビングとも呼べないような、この汚らしいわたしの部屋に何があるというのか、聖地などないはずだ。コンスタンチノープルエルサレムもない。新しい国を 造ろうにも、国なら、水と食料のある台所、流しの裏と冷蔵庫の裏で、そのような建国に適した場所はリビングにはない。王道楽土は築けぬ。なのに、遠征を止 めようとはしない。何を考えているのかわからない。幾世代にも渡って、理解不能な行いが続けられている。

何の目的を持っているのか。目的のないところに行動はない。リビング侵出後、あるものはしろい壁をするすると登り、またあるものはテレビやパソコン周りを徘徊する。あるものは他人の足に隙をみてまとわりつく。

そのたびごとに、命を奪われる。わたしに気づかれ、逃げるまもなく殺されるもの。逃げはしたがあえなく殺されるもの。足にまとわりつくという、殺されにく るような行いをわざわざし、案の定殺されるもの。殺されても殺されても、延々とそれらの行いを繰り返し続けている。言葉を喋らない。真意がわからない。一 月以上も見かけないと思ったら、日に五度も見かけたりする。

何のつもりなのか、なんだと思っているのか。わたしの存在というものを認識しているように思われる節がいくつもある。わたしが外出しているときに、物陰か ら這い出して来ていたようで、わたしが帰宅したと同時に慌てて逃げ戻る姿を幾度も見かけたことがある。わたしの気配を窺っているのか。

わたしの食べ滓をかすめとっているわけで、わたしは命の糧を与えている。見つけたそばから殺し、いろいろな罠で殺し、つまり命を奪ってもいる。

逃げるということは恐れているのだろうが、足にまとわりついたり、目に付く場所にこれみよがしに現われたり、恐れているだけではないような行動もとる。やはり何を考え、どう思っているのかわからない。

わたしはこの場所に住んで十年近くになる。聞いたところによると、個体の寿命は半年程で、人間の寿命の長さに例えるなら、半年で百年ほどの時間が経過している。十年とすれば二千年である。

この二千年の間、どのような歴史を刻み、わたしをどのような存在ととらえ、伝えてきたのか、しろいひと、などと、もし、されてきたとしたら、などと思うと、夜空の星を、寝静まった町でひとり見上げているようで、もうこれくらいで打ち切りとしたいと思う。

 

2007.01.29 Monday

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