薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

ちんこかゆ太郎

諦めざるを得なくなって、辞めていると、何の準備もしてないのに話が舞い込んで来たり、それじゃあとやる気をだすと、話がダメになったり、それでもとやり始めると、病気になって出来なくなったり、もうどうすればいいのだろうか。
どうする必要もないのかもしれない。
これまでいろいろな目にあって(といっても人と比べたらたいした経験などしていないのかもしれないが)感じたのは、逆らえない流れみたいなものがあって、ダメになるときは何をやってもダメになるし、どう足掻いてもダメになる。何か滅ぼされようとしているな、とまで感じるほどで、命まで取られなかったのが(自殺しなかったというか、ギリギリのところで助けてくれる人がいたというのが)幸いして、なんとか生きてるわけで、書こうと決めたときから、生きている限りは書いてやるというスタンスなので、どうなろうと書けばいい、ということなのだった。
生きて書ける限りは、どうなろうと全部ネタになるというスタンスなので、あとは知ったことか、という覚悟でやってくしかないと、覚悟は出来ているはずなのに、その覚悟が全身にみなぎらないというか、心弱い中途半端な性格なので、覚悟はしているはずなのに、また一喜一憂するんだろな、という確かな予感がある。
ここはもう新たな覚悟を示すために、新しい再デビューのペンネームを決めようと相談してみると、「ちんこかゆたろう」がいいのではないかと言われた。
自覚はないのだが、いつもよく人前でチンコを掻いているという。
そんなバカな、と思いつつ、チンコといえば笑福亭鶴瓶なので、電話で話をしながらメモ用紙につるべのイラストを描くと、確かにつるべなら人前でちんこを掻くかもしれず、案外いけそうな気もしてきた。
その後、「チンコ」とカタカナ表記するか、あるいは痒太郎などと、名前を漢字表記するかなど、いろいろ意見を出し合っている内に、やっぱり最終的にはちんこかゆ太郎あたりがいいのではないかということになり、つるべの絵の上に大きく「ちんこかゆ太郎」と殴り書きし、電話を切った。
電話を切った後、そういえばコンビニに光熱費を払いに行かなければならないと思い出し、ついでに何かコンビニに行って買うものをメモするため、ちんこかゆ太郎(つるべ)を書いた紙を裏返して、そこに燃やすゴミ袋、洗濯用洗剤などとメモし、ポケットに光熱費の紙とそのメモをつっこんで、近所のセブンイレブンに行ったのだった。
そしてその後、カウンターにいた女子高生アルバイトの小野さんという店員に、光熱費の支払い用紙を渡そうとして、ちんこかゆ太郎と殴り書きされた、つるべが書かれた方の紙を誤って渡してしまい、二度とその店には行けなくなってしまったのだった。

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何もしてない

秋葉原父親と待ち合わせをした。
書泉ブックタワーの下にいるとのことで、日が落ちて夜になりはじめてるなか、そうだと思われるビルに近づいていくと、わたしを二、三十歳年を取らせたような老人が、ビルの入口あたりの柱の台座に腰をかけているのが見えた。間違いなくわたしの父親だった。

この近くであった、競馬のセミナー(おそらくアフィリエイトセミナーなどと同じ類の、金を無駄に失う類のセミナー)があったので、それに参加して、その後ここに来たのだという。最近競馬をやっているのだが、上手く儲けられないという。わたしが目の前に来るまで携帯で話をしていたようだが、またどこかの詐欺師からの電話だろうか。

父親は円天で退職金を500万溶かしたので、そういう人間の電話番号は日本中の詐欺師が共有しているらしく、詐欺師からのホットラインか掛かってくる。携帯で話しているのを横にいて聞いたことがあるが、声を聞いただけで、いわゆる輩と言われるタイプの、ろくでもない人間だとわかるのは、なぜなのだろう。何百、何千という名簿を見てかけているのか、一見礼儀正しいが、感情のこもっていない声で、早口で話しかけてくる。

ふたりでどこか食事ができる適当なところはないか探し、あるビルの上にある居酒屋に行くことにした。一階の壁に掲げられていた内装の写真が良さそうなので決めたのだが、エレベーターの扉が開いた瞬間、自分たちが場違いなのがわかった。仕事帰りのそこそこ高そうなスーツを着た男と、なんかいけ好かない感じの女が、そこかしこで白ワインとか飲みながら、刺身をつついている、そんな感じの店だった。

無印とかユニクロとかを着たわたしと、おそらくイオンとかで買ったような服を着ている父親みたいなのは、わたしたちだけだった。回れ右するわけにもいかなかったが、カウンターの隅の物陰みたいな席に通された。小鉢に入っているポテトサラダが二千円近くもした。それに刺身の盛り合わせと、鳥の軟骨の唐揚げと生ビールを頼んだが、仕切りと店員が、日本酒とかワインを頼めみたいな感じで勧めてくる。金の心配をしているのか父親も言葉少なで、量が少なく全然食べた感じがしないが、早々に出ることにした。

食べ足りないので聞いたことがあるカレーチェーンに入った。秋葉原には何店舗かあるらしい。混んでいて、粗末なスーツとコートを着た、女に碌に見向きもされず、生涯独身だろう日本人サラリーマンたちがみなスマホをみながら、流れ作業的に送られて来たカレーをかっこんでて、カウンターにいる店員たちはみな外国人で、みなおそろいのTシャツを着ていた。

秋葉原の路面に面した店の一階には、マクドナルドや立ち食い蕎麦屋やラーメン屋、外国人がやっているシシカバブを切り売りしている店がひしめいている。あてもなく父親と歩く。


歩くごとに居酒屋決まりましたか、いい子がいますよ、キャバクラどうですか、チンコ女にしゃぶらせませんか(意訳)、と関わり合いになりたくない雰囲気を漂わせたやつらが声をかけてきて、足早に行きかってるスーツ姿の人に幸せそうな感じの人は見られない。ネオンだけが、キチガイのように点っている。ところどころで見かける、オラついた人と、オタクの人だけは元気そうだ。グラビアアイドルをやってそこそこいいところまで行ったが、一回十万でからだを売っているのがバレて、AV女優になった子が、メイドの恰好をして、微笑んでいる、等身大の広告写真を街角で見た。

わたしは原稿の持ち込みが出来そうになったことも、その後病気になって書けなくなったことも、父親にはなにも言わなかった。言うと、神様のお考えに逆らっているからだ、神の言うとおりにしないからだ、とまた言うだろう。
父親はどこで人が次々轢かれ刺された場所なんだと言う。そこに連れていってくれ案内しろと言う。
適当にここらあたりじゃないかな、と答えた。
地下鉄の改札まで父親を送ったが、父親の後姿は小さく感じた。

父親はいつまで生きているだろうと思った。

 

2016.11.19 Saturday

 

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休止

会って話した結果、書いたら原稿を持ち込んでいいことになった。
あなたがこれまであまり書こうとはしたがらなかった、自分のことを書いてくれるなら、ということだった。
見本の原稿も読んでくれていて、それについていろいろ話をした。
書き上げるか、ある程度きりのいいところまでかたちになったら、いつでもいいから読ませてほしい、ということだった。

わたしは極度に緊張していいて、なかなか言っていることが理解できなかったり、同じことを何度も聞いたりして、会談の時間が大幅に伸びてしまって、とても申し訳なかった。早く切り上げねば、もう相手は帰って欲しいと思っている、とわかっているのに、上手く話が切り上げられない。その後ひとりになったときに、そのときのことを何度も思い出して、ずっとひとりでシャワーを浴びながら落ち込んでいる。でも、またそんな場面になると上手く立ち振る舞えない。そういう自分とまた向き合わなければならなくなるのだ、と思った。

神楽坂を、飯田橋駅に向かって下って行った。毘沙門天を横目に見た。これでこの風景を見るのも最後だな、と思っていた場所は、三年経って、少し感じが変わっていた。普通の本屋が、ブックカフェみたいなものに変わっていた。どことはいえないところも、いろいろ変わっているようだった。自分は変わったのだろうか。無駄なことを繰り返しているのだろうか。
一度失敗しているのだから、書き上げたとしても、採用にならない可能性も高い。
また書けば、読んでもらえる可能性ができた、というだけで、別に本になるわけではない。
ダメなら、まだ読めてないんです、が二回つづいて終わりだ。
本にならなければ、無駄に時間を費やした、ということになるのだろうか。

人生が失敗しましたね、と言われるのだろう。


帰りの電車で、会って言われたことをきっかけに、いろいろ考えや場面や言葉が浮かんできた。ここはああしたらいいのかもしれない、こういうふうに書き直してみよう。ここしばらくないような感じに頭や身体がなった。目の前にある電車の窓から景色が見えた。周りには仕事が終わって、家路に向かう人たちがいた。

それから数か月、資料を読んだり、書いたり書き直したりを繰り返したりしたが、あまり原稿は進んでいなかったある日、身体に不調を覚えて、近所の町医者に行った。診てもらうと、直ぐに紹介状を書くので、もう夜なので、明日の朝一にその大学病院に行って、詳しく診てもらった方がいいと言われた。
仕事を休んで診てもらうと、入院して手術が必要だと言われた。命に関わる病気ではないので、身体は短い期間で動かせるようにはなるが、最低でも半年ほどは、手術をした場所を休ませなければならない。そうしないと再発してしまう。本を読んだり、パソコンでまとまった量の文章を書いたりできるようになるには、一年ほどかかると言われた。どうにかならないのでしょうか、と訊くと、お気の毒ですが、どうにもならないのです、と言われた。

帰り道、四月なので、身体にスーツが馴染んでいない男女の集団がいた。新入社員の一団が研修なのか、どこかに向かっていた。

手術は成功して、仕事も軽作業の仕事を回してもらえるとのことで首にはならなかったが、また書けなくなった。いつでもいいので書き上がったら原稿を読ませてくださいと言われたが、だからと言って、二年も三年も待ってくれる可能性は低い(いつでもいい、というのはもともと待ってもらえるほどの存在ではない、ということだから)、話は流れたのかもしれなかった。

 

2016.04.26 Tuesday

 

 

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