薫の下流日記

日記、近況、習作、その他ゴミ置き場

秘密の芋虫(5)

いま、わたしは家のなかにひとりっきりである。わたしは一人暮らしを満喫しているのである。わたしを飼っている女の子と、その父親と母親は、家族みんなで旅行に行っているのだ。

はじめ、女の子は、旅行にわたしを連れて行くことを強硬に主張した。

旅行カバンのなかに、ソラマメと書かれたイチゴパックを詰め込もうとしているところを母親にみつけられ、やめなさいという母親と、つれていくという彼女との間で、言い争いが始まったのだ。

言い争いといっても、やめなさいと、つれていくという言葉を、お互い呪文のように言い合うだけであったのだが、それでもかなりの間、お互い飽きもせず、ずっと唱えあっていた。

やがて彼女は、わたしをイチゴパックのなかから無理やりとりだし握りしめ、目をうるませはじめた。わたしはじっとしているしかない。

母親は、そんなふとい虫を握るのはやめなさい、と大声で言った。

わたしはじっとしていながら、わたしのことをふとい虫というのもずいぶんな言い草であるし、ふとい虫だから握ってはいけないというのも、おかしな理由だと思った。

あげくには、汚いからはやく離しなさいという。手が臭くなるでしょう、とまでいう。失礼なはなしである。ぬか漬けを主食とするわたしは、つけものの塊のようなものである。天然成分、自然派である。自分のことを棚にあげて、ひとのことを不潔なもののようにいうのは、自惚れの強い証拠である。

貴君の、わきの下や股ぐらは、どれほど臭いか知っているのだろうか。わたしは真夜中に、貴君が寝ている時に、興味本位でフンフンと嗅いで、たいへんな目にあったのである。好奇心旺盛を反省したのである。真夜中、貴君のすぐ横で、みどりいろのふとい虫がのたうちまわって悶絶していたことを知らないようである。

女の子もかなりねばったのだが、母親という力を持つ、この大きい女にはかなわない。彼女はしぶしぶ、わたしを家に置いておくことに同意した。

彼女ら家族が出かけた後、わたしは気ままに過ごした。壁や天井にはりついて、しばらくのあいだじっとしていた。天井から糸を吐いてぶら下がり、空中でしばらくぶらぶらと揺れていた。母親の化粧台にある三面鏡の前に行き、三つの鏡に映った別のわたしたちと共にダンスやマネッこを楽しんだ。

とても有意義に過ごしていると、玄関でインターホンのチャイムが鳴った。わたしは悠然と無視した。しばらくすると鳴らなくなったので、化粧台の中にあった口紅というものをいじくりまわしていると、またチャイムが鳴った。無視しておいた。するとまたしばらく経ってチャイムが鳴る。わたしは、玄関の覗き穴から、様子をうかがって見ることにした。

 

2007.03.09 Friday

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秘密の芋虫(4)

わたしの飼い主のつもりであるちいさな女の子は、いつもどうり学校へ行った。わたしはここ数日、いろいろ徘徊して集めてきた、色とりどりの糸くずを、隠していた葉っぱの下から取り出し首に巻いた。これまた葉っぱの下に隠していた、生地屋から拝借している、黒色の、肌触りのいい上等な布を身に纏った。布には、わたしの大好きな目玉が所々に描かれており、その目玉が、どこを見ているのかわからない眼球を、あたりにジロジロさせている。大変お気に入りのものだ。もう一着、人の鼻が無数に描かれた衣装もあるが、今回は一晩迷ったすえこちらに決めた。

わたしは人という生き物の、奇妙な身体の形がどこか好きなのである。例えば足だけとか、手だけとか。それらも、目や鼻ほどではないが好きである。これは、人間の言葉でいうと、略してフェチ、フェティシズムというらしい。わたしがオメカシするのは、祭りだからである。今日は、楽しい、ピアノ祭りである。

女の子の部屋の窓を、ちょっと開け、わたしはベランダに出た。よく晴れた、風が強い朝だった。わたしは糸らしきものを口から吐き、適当な場所に絡めた。それから飛びおり、風に乗り、ある家の屋根に着地した。糸を切り、屋根から壁をつたい、窓からその家の、ある部屋に侵入した。どんなに厳重に戸締りをしている家でも、人ではないわたしの侵入を防ぐのは難しい。その部屋には、わたしの目指すもの、ピアノ、ピアノがある。

今日、家に人は誰もいない。調べはついている。この家には、一匹ずつ、犬と猫がいる。犬は、わたしが屋根に着地してからずっと吠えつづけていたが、人間にはなんのことかわからないだろう。猫は、ピアノがある部屋にいたが、わたしが入ってきたので部屋から出て行った。部屋の外からこちらをうかがっている時もあるが、今日はいなくなった。

ピアノ。人間が発明したもので、こんなにわたしを喜ばすものはない。白と黒の浮き沈みする板。鍵盤と呼ばれるもの、それが一列にならんでいる。体重をかけると、音が鳴る。ひとつひとつの板が、別の音を出して鳴るのが、このうえもなくすばらしい。

さっそくわたしはひとつの板に、ゆっくりとのった。音が出た。その音が、部屋に響いた。わたしの身体にも響いた。ぞくぞくした。わたしは、ゆっくりと板の上を這い、ゆっくりと板から板に飛び移った。そうやって、まず一音一音を味わった。

そしてついに、板の上を素早く動き始めた。無数の音が連なり始める。喜びが身体中に溢れる。祭りである。襟巻きを巻いた無数の目玉が、奇妙な音を鳴らしながら鍵盤の上を狂喜乱舞している。突然予定を変えて家に戻ると、誰もいない部屋でピアノが鳴っており、扉を開けると鍵盤の上で踊り狂っているわたしと出くわす可能性があるので、家にピアノをお持ちの女性は気をつけたほうがいい。

なぜ、そんなにもピアノ祭りが好きか、わたしにもよくわからないのだ。

 

2007.03.09 Friday

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秘密の芋虫(3)

ねぇ、ソラマメ。

彼女は、どうも数日前から、その四文字熟語をわたしに向かって言いつづけている。

わたしに向かって、なぜソラマメというのであろう。

彼女はまた、わたしの方を見て、ソラマメ、と言った。わたしはじっとしていた。

すると彼女は、イチゴパックに顔を近づけてきた。

大きな顔だ。大きな目だ。わたしのことをじっと見つめている。すごく見つめている。わたしを四方八方から見つめている。その後、どこからか、黒色のマジックを取り出した。キュキュと音がした。わたしのいるイチゴパックに、彼女は何か書いたようだ。

そして今度は、イチゴパックから、一歩離れた。イチゴパックをじっと見て、やがて彼女は微笑んだ。行ってくるね、とわたしに向かって言い、出かけていった。

わたしはモゾモゾと這い出した。黒目がちの目で、イチゴパックを見ると、でかでかとソラマメと書いてあった。ソラマメとは、どうやらわたしの名前のつもりのようだ。

ア・バオ・ア・クーとか、ゴーレムとか、奇妙で、特別な響きのする言葉で、呼ばれるのなら呼ばれたいものだ。まだ、彼女にそれを求めるのは無理というものだろうか。まあ、彼女との間では、それでもいいような気もする。気まぐれなわたしなのだ。

彼女に見つかる心配はないので、いそいそとわたしは、お食事に出かけた。お漬物を食べにである。お気に入りのぬか床屋が、あるのである。ぬか床関係の者だけにしか伝えられていないことだが、わたしが現れると、そのぬか床屋は栄えるというのである。

もし、わたしが現れたら、そっとしておかなくてはならない。ぬか床界の掟である。そして、ぬか床職人たちは、漬けるきゅうりの数をいつもより増やすのである。

神棚にきゅうりを供えるぬか床師達もいる。ある駆け出しの職人など、偶然、ぬか床と戯れているわたしを見かけ、涙を流して喜んでいた。

なぜ、ぬか漬けに関わる人々に、わたしがそのような扱いを受けているか、わたしにもわからない。わたしはとにかくミステリアスなのだ。わたしとしては、おいしいぬか漬け、特にきゅうりのぬか漬けを求めて、今日もうろちょろするだけである。

 

2007.03.07 Wednesday

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